渡辺 好明 氏
1945年生まれ。
水産庁長官、農林水産事務次官、内閣総理大臣補佐官、東京穀物商品取引所理事長などを歴任。全国農地保有合理化協会会長、全国米麦改良協会会長、新潟食料農業大学学長。
現在、公益社団法人全国農地保有合理化協会会長、一般社団法人全国米麦改良協会会長、2018年4月に開学した新潟食料農業大学の初代学長などを務める。
近年のものとしては、菅正治著『平成農政の真実 キーマンが語る』(筑波書房、2020年)、食品産業新聞社「米麦日報」編集部編『米と平成 30年間の流通』(食品産業新聞社、2019年)、農政ジャーナリストの会発行『戦後70年の食と農 転換期にどう向き合ったか』(日本農業の動き193、2016年)、「商品先物業界‐激動の10年‐行路難し」(2020年市場経済研究所)などのほか、「アグリオ(Agrio)」(時事通信社)、「学長コラム」(新潟食料農業大学)などのコラム、エッセイ寄稿・連載も多数。
■高校で日本史を習った網野善彦先生からは、「百姓という言葉は、農民を意味しない」と聞きました
――これまでを振り返られたときに、農業や農地に対するイメージができた出来事というはありましたか? 高校時代でいえば、東京都板橋区の北園高校ご出身ということで、農地はあまり周囲にないような環境で過ごされたと思うのですが……。
渡辺:そういう環境は、一切ありませんでした。近くで農地が残っていたのは、板橋区の外れにある「徳丸田んぼ」とか、開発前の高島平の辺りです。それから、当時、私が住んでいたのは練馬区の外れなので、麦畑も大根畑もありました。ですから、中学高校の頃の身近な農地、農業といえば、どちらかというと、都市農業とか都市近郊農業という感じですね。
――そこから、農林省に入られたりして、いろいろと農業や農地に対する知識やイメージが変わると思うのですが、大きなエポックは何かありましたか?
渡辺:それは、やはり、高等学校の時の恩師、日本史の網野善彦先生の授業や考え方に触れたことではないでしょうか。
当時はまだあまり有名ではなく、どちらかといえば異端児だったですね。北園高等学校の日本史の先生をやりながら、授業が終わると、東大国史科の研究所(資料編纂所)に通っておられたと思います。
高校生の当時、網野善彦先生から「百姓という言葉は、農民を意味しない」という言葉を聞いた記憶があり、それが先生の日本史の原点だったのですね。ただ、高校にいた頃は、芒芒然としていたから、高校生との間のやりとりも、必ずしも噛み合っていなかったように思います。