元農林水産事務次官・渡辺好明氏の農業観・農地観

渡辺 好明 氏

1945年生まれ。
水産庁長官、農林水産事務次官、内閣総理大臣補佐官、東京穀物商品取引所理事長などを歴任。全国農地保有合理化協会会長、全国米麦改良協会会長、新潟食料農業大学学長。

 
東京都立北園高等学校卒業。1968年、東京教育大学(文学部社会科学科経済学専攻)卒業後、農林省入省。公正取引委員会事務局、農林省畜産局、食糧庁勤務を経て、1981年7月から兵庫県農林水産部振興室長。その後、1983年8月から林野庁、農林水産省畜産局勤務を経て、通商産業省貿易局農水産課長、農林水産省農蚕園芸局企画課長、水産庁漁政課長、農林水産大臣官房企画室長、林野庁林政部長、環境庁水質保全局長、農林水産省構造改善局長、水産庁長官、農林水産事務次官、内閣総理大臣補佐官(郵政民営化担当)、東京穀物商品取引所理事長・社長を歴任。2015年11月に瑞宝重光章を受章。

現在、公益社団法人全国農地保有合理化協会会長、一般社団法人全国米麦改良協会会長、2018年4月に開学した新潟食料農業大学の初代学長などを務める。
 
 
 
著書、論文等としては、地域社会の将来を描いた『人間列島、動き出す』(水産社、2003年)、農地という社会資本を利用して農業が営まれている地域社会を分析した『誰も知っているはずなのに誰も考えなかった農の話』(清水弘文堂書房、2007年)、エッセイ集「日本橋人形町だより」(NPO法人・子どもの食育推進協会、2012年)、「食の安全、安心と健康」①②(医薬品企業法務研究会、2004年)、「こめ産業に期待する」(HAL財団、2009年)、「農産物先物市場‐来し方、行く末」(2013年神戸大学での講義録)などがある。
近年のものとしては、菅正治著『平成農政の真実 キーマンが語る』(筑波書房、2020年)、食品産業新聞社「米麦日報」編集部編『米と平成 30年間の流通』(食品産業新聞社、2019年)、農政ジャーナリストの会発行『戦後70年の食と農 転換期にどう向き合ったか』(日本農業の動き193、2016年)、「商品先物業界‐激動の10年‐行路難し」(2020年市場経済研究所)などのほか、「アグリオ(Agrio)」(時事通信社)、「学長コラム」(新潟食料農業大学)などのコラム、エッセイ寄稿・連載も多数。

目次

■高校で日本史を習った網野善彦先生からは、「百姓という言葉は、農民を意味しない」と聞きました

――これまでを振り返られたときに、農業や農地に対するイメージができた出来事というはありましたか? 高校時代でいえば、東京都板橋区の北園高校ご出身ということで、農地はあまり周囲にないような環境で過ごされたと思うのですが……。

渡辺:そういう環境は、一切ありませんでした。近くで農地が残っていたのは、板橋区の外れにある「徳丸田んぼ」とか、開発前の高島平の辺りです。それから、当時、私が住んでいたのは練馬区の外れなので、麦畑も大根畑もありました。ですから、中学高校の頃の身近な農地、農業といえば、どちらかというと、都市農業とか都市近郊農業という感じですね。

――そこから、農林省に入られたりして、いろいろと農業や農地に対する知識やイメージが変わると思うのですが、大きなエポックは何かありましたか?

渡辺:それは、やはり、高等学校の時の恩師、日本史の網野善彦先生の授業や考え方に触れたことではないでしょうか。

当時はまだあまり有名ではなく、どちらかといえば異端児だったですね。北園高等学校の日本史の先生をやりながら、授業が終わると、東大国史科の研究所(資料編纂所)に通っておられたと思います。

高校生の当時、網野善彦先生から「百姓という言葉は、農民を意味しない」という言葉を聞いた記憶があり、それが先生の日本史の原点だったのですね。ただ、高校にいた頃は、芒芒然としていたから、高校生との間のやりとりも、必ずしも噛み合っていなかったように思います。

この記事は、小川真如による個人研究「現代の農業観・農地観」の成果です。