
飯塚 俊幸 氏
1996年群馬県館林市生まれ。
株式会社ひとなみ代表取締役。
高崎経済大学卒業後、株式会社パソナハートフルにて営業職、たばたファームにて農業研修を経て、2021年9月に株式会社ひとなみを設立。
先天性難聴である自身の経験を踏まえて、「個性があるからこそできることがある」ということをまず自分で証明したいと思い起業した。「一人一人の弱さをも個性と捉えて、誰もがお互い認め合う社会の実現」という夢に向けて、「障がい者雇用率100%の会社」の事業展開を掲げている。
目次
- 1 ■“将来の農業は、今とは違う農業である”という予想を立てて、そこに賭けることにしました
- 2 ■「じゃあ、逆に障がい者の農業には発展性があるのだろう」と思った
- 3 ■農業は、アートやお菓子作りとは違い、難しい部分があります。じゃあ、だからこそ、やっぱりチャレンジしようと思いました
- 4 ■ブランディングが難しいだけでなく、ブランディングに至るまでの生産も、農業は難しい
- 5 ■「障がい者雇用100%の会社」という目標を成し遂げて、社会に対して影響を与えたい
- 6 ■「一人一人の弱さをも個性と捉えて、誰もがお互い認め合う社会の実現」が夢で、「障がい者雇用率100%の会社」が目標
- 7 ■農業をやろうと思った一番最初のきっかけは親友からの提案
- 8 ■小さい頃は、絶対継がない、農業なんてやりたくない、と思っていました
- 9 ■これから10年後、スマート農業が進んだときに、障がい者の働き方、農業の働き方が変わる
- 10 ■スマート農業はとても難しい
- 11 ■「障がいを持っているからこそできる」ということを自分で証明できる
- 12 ■私は聴覚障がいをもっていたことで気づけたことがたくさんあります
- 13 ■今の日本社会は表向きだけで、人を見てしまったり、判断してしまったりする傾向があると思っていて、それが一番の問題意識
- 14 ■相手に勝手にレッテルを貼ってしまう。それが一番の問題だと思っています。障がいじゃなくても、たとえば、ポツンとうつむいていたら、この人はもうダメだ、みたいな風潮
- 15 ■私はその先輩の目標にとても共感して、現在の自分につながっています
- 16 ■個性を生かすということだけであれば、農業よりもアートなどの方がよほどやりやすい
- 17 ■固定観念全般への違和感、問題意識
- 18 ■怒りの感情をもって、農業界に参入した
- 19 ■農地についてはあまり関心が少ない方
■“将来の農業は、今とは違う農業である”という予想を立てて、そこに賭けることにしました
――飯塚さんの農業観とは?
飯塚:農業のイメージとしてぱっと浮かぶのは、まだまだ積極的に参入してくる人が少ない、仕事としてはマイナーなほうだな、というイメージがあります。昔に比べれば改善されてきたと思うのですが。
――改善というと?
飯塚:昔はもっと「儲からないのに大変、肉体労働」「消極的な選択肢として仕事を農業にする」というイメージがあったが、今は少し良くなってきた、という段階にあると思います。ただ、とても魅力的な仕事かというとそうではなくて、わざわざ農業を仕事にするという人は少ないのかなと感じます。それでも、将来、こうした状況は変わっていくのでは、という望みを賭けて、私自身、農業界に参入しました。
“将来の農業は、今とは違う農業である”という予想を立てて、そこに賭けることにしました。