都市農業・都市農地の研究者・佐藤忠恭氏の農業観・農地観

佐藤 忠恭 氏

1977年生まれ。
東京農工大学農学部、同大学院修士課程などを経て、神奈川県農業技術センターに勤務。その後、神奈川県環境農政局農政部農政課、川崎市都市農業振興センター農地課にて、生産緑地をはじめ都市農業・都市農地を中心に実務、研究に取り組む。現在、神奈川県環境農政局農政部農業振興課に勤務しつつ東京農工大学大学院博士課程に在籍。

「農業における技能をどう考えるべきか?」(『農作業研究』54(2)、2019年)、「高地価水準の都市における生産緑地の維持意向と農家属性―神奈川県川崎市を対象として―」(『農業経済研究 』92(1)、2020年)など論文多数。「ローカル・フードシステムと都市農地保全に関する研究」(博士論文)にて博士号取得見込み(収録時点)

(2021年8月6日収録)

目次


佐藤忠恭氏の農業観・農地観のイメージ図。この図をもとに、農業観・農地観についてお話しいただきました。

 

■農業が工業や他の産業と若干違うのは、全てを完全に「あやつる」ことができない、コントロールしきれない部分

――農業観・農地観というとどういったイメージでしょうか。

佐藤:こちらの紙に書いたイメージですね。

――これは、いわゆるベン図ですね。上からご説明いただけますか?

佐藤:一番上は、認知的には自然科学では多分こういう感じになると思うんですけど、いわゆる「自然」というのと、人工というか「人為」の重なる部分というか、そこのせめぎ合う部分が農業、農地、というイメージ。学生時代からずっとこういうイメージで考えていました。私は大学では農学部に入学しましたが、自然科学で入学しているわけです。

――たしかに農学部というのは自然科学に属しますよね。これは、学問上のカテゴライズというよりも、一般的なカテゴライズというか、受験上の分類という感じですが。

佐藤:そうそう。農学部というと自然科学で入学するわけです。なので自然界、世の中を理解するのがサイエンス。感覚的には科学で自然を理解しようとするわけですね。「自然」というのがある中で農業という営みは「自然」をうまく活用して人間が生きていくのだと。

一方で、何でも人間が自由にできるという世界とはちょっと違って、農業が工業や他の産業と若干違うのは、全てを完全に「あやつる」ことができない、コントロールしきれない部分があって……この図では「ゆだねる」と書きましたけど、「自然」の側は「ゆだねる」というところがあって、その部分が残っている。「人為」の人工の側は「あやつる」、コントロールする、制御をするという世界があって、そこをうまく折り合わせてやっていくところが農業という営みで、その場が農地だと思います。この重なる部分で、せめぎ合っているところなんだよなと。

当然、その濃淡はありますが、「自然」に偏ってずっと行けば、「ゆだねる」部分が多ければ自然農法的な感じになるし、「あやつる」ところを、コントロールするところをどんどん強めていけば植物工場とか工業化、工業的な農業になっていくのだと思います。

――「自然」と「人為」の領域が合わさる部分の中でも濃淡があって、ということですね。その境界的なところ、たとえば「自然」に近い方だと自然農法だと。里山とかも「自然」との境界的な領域に入ってくるということですか?

佐藤:はい。里山も人の手が入る。雑木林とかそういう人の手が入るイメージですね。

――里山というと、一定程度の人為的な圧、コントロールが入りつつも、かといって全部を人間があやつっているわけではないということですよね。

佐藤:そうそう。人の手が全然入らないところは原生自然で一番左側に置きましたけれど、段々グラデーションで人の手が入ってくるようなイメージですね。

この記事は、小川真如による個人研究「現代の農業観・農地観」の成果です。