古田地区の水田風景を守る近藤正治氏の農業観・農地観

近藤 正治 氏

1934年生まれ。
有限会社藤原ファーム代表取締役。
1989年に25haの圃場整備が完了しながらも、担い手不足が続いていた三重県いなべ市藤原町古田地区は、自作農家が少なく、整備できた圃場の管理委託要望が多くて、地区の水田を守るため、自身がほぼすべてを出資する有限会社を設立し、古田地区農家組合が農地利用調整を担い,藤原ファームが作業を受託する二階建て集落営農の体制を築いた。88歳の現在でも、古田地区の水田風景を次世代に継承するための方策を第一線で検討している。

かつて、正社員30人と契約社員100人を雇用する縫製工場を経営する傍ら、1984年に自治会長となり「若い人達が住める村づくり」を提案するなど、山村振興事業を実施してきた。さらに、兼業化や離農の進展,少子高齢化,都市部への住民の流出によって、集落では青年団の解散等,地域住民のつながりの希薄化が進む状況を懸念して、青壮年部や壮年婦人部、ほうすけクラブなどの複数の任意組織を設立してきた実績がある。また、草餅加工に取り組み、開設した直売所「えぼし」等で販売する6次産業化、ほうすけクラブなど都市と農村交流事業に関する地域組織を設立してきた。

代表を務める「ほうすけクラブ」は2005年に毎日新聞社「グリーンツーリズム大賞2004」大賞を受賞した。また、古田地区は2017年に農林水産省優良賞を受賞した。
このほか、2011年に三重地域資源活用“お見事”企業グランプリ最優秀賞受賞、2014年に三重県産業功労者表彰受章、2015年に毎日新聞社第45回毎日農業記録賞優良賞受賞、など。
近藤氏の取り組みを取り上げた書籍として、佐藤奨平編著『和菓子企業の原料調達と地域回帰』(筑波書房、2019年)がある。
 
 

 

藤原ファームで作られている草もちとかきもち
目次

■山村地域は農地の価値が減ってきている

――農業観や農地観についてお伺いしたいのですが、いかがでしょうか?

近藤:私の考え方はね……昭和9年に生まれて、戦前戦後から食糧不足で、先祖が開墾して作った農地を大事にせなあかんという精神が、農家にはどこにもあったわけです。それで、まだ、足りないと、どんどん開墾していって増やしたけれども、ところが時代とともにそれが重荷になってきました。ものの考え方が変わってきましたからね。

――ものの考え方が変わってきた、というのはどのような?

近藤:外で働いてお金をもらったほうがいい、という時代に変わってきたわけですね。

戦後の農地改革で、もともとは大地主の農地を小作に分けたのです。それで、大地主の持分は1haと言う制限があって、あとの農地は全部、小作に安く売渡たし分散したのです。

――小作人に土地が分かれていくわけですよね。

近藤:そうそう。ところが戦後経済成長と共に、食生活に変化が出て、米余りの時代が来たのです。今度は圃場整備をして管理しやすくし、集落営農によって能率化するために、農地を集めようとしてきたのです。

ところが先ほど申し上げたように今、私が百姓採算合わないでやめたと言ったら、今まで農家だった人が出来るかというとできないでしょ、鍬や鎌ではもうできないから、トラクターとかコンバインとかいう大型の機械を何も持っとらんでしょう。

――集落営農が続かない場合に、地主の人にはもう稲作の機械がないのでどうしようもないということですね?

近藤:45戸くらいの集落ではどこでも一緒ですけれども、みなさんが百姓しておったわけ。ところが、田んぼは良くなったけれども、今度はもう百姓が出来ない。それで、今の若い人の気持ちは、「どうすんのや」、と言ったら、「それは放っとくわ」、という考え。

――なるほど。

近藤:だから、田んぼの価値が減っておるわけ。たとえば、500万円で買った車は、車庫に入れて、きちっと洗ってという感じがするけれども。2000円、3000円のものなら、その辺に放っておくのと一緒で。農地の価値が減ってきているわけです。

それで、都市近郊では宅地になるわけですし、又野菜作っていても近くで売れるので良いのですが。田舎ではそうは行かないので、先のような考え方が進んでいくと思いますね。

この記事は、小川真如による個人研究「現代の農業観・農地観」の成果です。