小野 淳 氏
1974年生まれ。
株式会社農天気代表取締役農夫・NPO法人くにたち農園の会理事長として、貸し農園・市民農園の開園サポート、田畑での子育て支援やインバウンド観光、婚活、TV・雑誌などのメディア制作サポートなどを提供している。
神奈川県横須賀市出身。大学時代に探検部にて、奥アマゾン・ギアナ高地、紛争前後のバルカン半島など放浪。大学卒業後、テレビ番組制作会社クリエイティブネクサスにてディレクターとして勤め、「真剣10代しゃべり場」(NHK教育テレビ)、「所さんの目がテン!」(日本テレビ系列)、「素敵な宇宙船地球号」(テレビ朝日)などを演出。その後、農業生産法人ワタミファームにて、有機JAS規格による生産・流通に携わるほか、国立ファーム株式会社にて国立BBQファームを設立・運営も手掛ける。2013年「くにたちはたけんぼ」設立メンバーとなり2014年に「株式会社農天気」を設立して独立起業。2016年にNPO法人くにたち農園の会理事長に就任して現在に至る。
このほか、東京都商工会青年部連合会副会長、Agri法律会計事務所顧問、NPO法人アーバンファーマーズクラブ監事、NPO法人国立市観光まちづくり協会副理事長などを歴任。
2013年「青年経営者の主張大会」商工会連合会主催東京大会優勝、関東大会審査員特別賞。監修・実演としてDVDボックス10巻セット「菜園ライフ~本当によくわかる野菜づくり」(NHKエンタープライズ)、書籍執筆として、『都市農業必携ガイド:市民農園・新規就農・企業参入で農のある都市(まち)づくり』(農文協)、『東京農業クリエイターズ:あたらしい農ライフをデザインする。』(イカロス出版)、『食と農のプチ起業:シェアキッチン、SNS、ECサイトをフル活用する』(イカロス出版)がある。
■僕は生き物が好きだったので、山の中に残った小さな田んぼの周りにものすごくいろいろな種類の生き物がいるということに、とても魅力を感じていました
――現在の取り組みの軸はどのようなものでしょうか?
小野:そうですね、都市農地を使った、子育て支援と体験型観光です。
――都市農地ということで、こちらは東京都国立市で取り組まれているわけですが、国立を選ばれた理由はありますか?
小野:2009年に国立に来ました。国立ファーム有限会社という会社があって、そこに入ったのがきっかけです。
前職ではワタミファームというワタミグループので、農業法人で有機農業をやっていました。3年半ぐらいそちらにいましたが、当時は今よりも都市と農村というのがかけ離れた存在としてありましたね。
私は都市でテレビの仕事をしていて、農村で農業に従事し、あまりのギャップに気づき、農村にいるだけではわからないというか。都市で暮らしている人がそれこそ農業、農地の決定権を持って、制度を作っているわけじゃないですか。だけど、農村にいると、そこになかなかリーチできないのですよ。
――たしかに、農業や農地の決定権、制度的な話は都市部で扱われていますけど、農村からはその都市部になかなか遠い存在でもありますよね。
小野:もうちょっと都市で暮らしている人たちにリーチするということができないと、農業的な持続性も保てないと思いました。流通とか、農業まわりの商売を学ぼうと思って、国立ファームという会社に転職したのです。たまたま、場所が国立だったというだけです。
――そういった経緯で国立市におられるのですね。出身地でもなく。
小野:出身は神奈川県横須賀です。もう住宅街で、家も農家ではないですし、私は大学でも農学は一切やっていなかったです。ワタミに入って、本当に完全に初めて農業にかかりました。
――では、小野さんご自身が思われる農業、農地の使い方だとかの原風景というのは、どこにあると思いますか? なくてもいいのですが……
小野:あります。横須賀で住んでいたのは新興住宅地だったのですが、高度経済成長期で、どんどん住宅開発が進んでいました。
家の周りは本当に田んぼも畑もないところでしたが、30分ぐらい離れたところに、山の中に小さな田んぼが残っていて、おばあちゃんがやっているみたいな……。
僕は生き物が好きだったので、山の中に残った小さな田んぼの周りにものすごくいろいろな種類の生き物がいるということに、とても魅力を感じていました。
――そのおばあさんはご親戚の方ですか?
小野:いえ、違います。僕は横須賀出身だけど横須賀生まれではなくて、サラリーマン家庭の、いわゆる新興住宅地ができて、そこに家を買った家庭の子供として生まれているので、全然、横須賀にはつながりはなくて、単純にそれこそ風景です。
小さい山ですが、衣笠山という山に登る途中に衣笠田んぼという小さな田んぼがあって、そこに行くとオタマジャクシとかアカハライモリとか、まだ当時はトウキョウサンショウオとかいたのですよ。
――サンショウオもいたのですね。
小野:いました。だから、1980年代初頭、たぶん、90年になる前にその田んぼもなくなって、家が建ったのです。
――なるほど。
小野:だから、僕の中で原風景としての農地といえば、そういうはかない存在としての農地というイメージです。
――おいくつくらいの頃でしょうか。
小野:10歳ぐらいの時ですね。その後、農地と接点は一切なかったので……